『雪の一片』 Writing by しろわに 様


 雪が見たい、と高耶が子供のように望んだのは昨日のことだった。
 一面の白。
 清浄な気配が満ちているかのような、世界。
 冷気の中、その静けさを乱すことを恐れるように高耶はそっと手を伸ばした。天か らの、一片の雪。
 それは高耶の掌の上ではかなく溶けてゆく。
 まるで天を希求するかのようなそんな高耶の姿を見て、直江は声をかけることを躊 躇った。静かに歩み寄り、その細い首に自分のマフラーを巻きつける。
 「……高耶さん、手がかじかんでしまいますよ……」
 高耶は振り返り、直江に微笑みかけた。
 今まで天に伸ばしていた腕を、直江に向ける。直江はその手を取った。
 自分の熱を、高耶の冷たくなった指に移していく。二人の掌の温度が同じになり、 そっと握り合わされた。
 高耶は直江の胸に凭れ、目を閉じる。
 「……あたたかく、なった……」
 高耶が笑う。
 「他に、寒いところはないんですか?」
 「ん〜、全部」
 今度はくすくすと笑いながら、高耶は頭をぐりぐりと直江に押し付けた。
 直江は黙って、自分のコートの中に高耶を包み込んだ。
 もう一度、手を握る。
 「……昔は、雪が怖かった。音を吸い取るんだろうな、なんの音もしないなかで、 白い雪だけが積もっていくんだ。本当に小さかった頃は、もっと嬉しいと思ったこと もあったのに、なんでだったんだろうな……」
 呟くように言う。直江は繋いだ手にそっと力を込める。
 「私はいつも、貴方と共に在ります……」
 高耶は再び、天を仰ぐ。
 直江と手を繋いで。

 


 桜の花びらが散る中だった。
 淋しそうに桜の木の前に立つ少年は、まるで桜の精のように見えた。
 「貴方が直江さん?」
 少年の声はようやく声変わりを終えたばかりのもので、それでも直江には心地良く 響いた。
 「はじめまして。仰木高耶といいます。今日は兄より言いつかって、お迎えに参り ました」
 そういって、軽く頭を下げる。
 こちらこそ、と直江も軽く礼をすると、少年は頭を上げた。……その、瞳。
 一瞬、直江は見とれて言葉を失った。

 「おお、直江、すまなかったな、私が迎えにいけなくて。まあ、お前は目立つから な、弟でも大丈夫だろうと思ってな。温泉以外なにもない村だが、空気だけはいいだ ろう?」
 そう笑うのは、直江の友人の北条氏照である。ソファに座ったその足には包帯が巻 かれていたが、ギプスのように大仰なものはなく、直江はひとまず安心した。
 「いや、こちらこそわざわざ弟さんに迎えに来てもらって、済まなかった。……本 当に、ありがとう。ところで、足を怪我したと聞いたが……大丈夫なのか」
 頭を下げると、氏照はいやいや、と首を振る。
 「ただの捻挫だ。いや、不覚だった。恥ずかしいことに、階段を踏み外したのだ。 礼はいらんぞ、誘ったのはこちらだ。実を言うと、私も退屈していてな。ここはいい ところだが、刺激が少ないのが難点でな。若い者もどんどんいなくなっていく。ま あ、今はどこの村も似たようなものだろうが、病み上がりのお前にはこの位がちょう どいいだろう?」
 氏照の言葉に、思わず直江は笑った。
 「そうだ、弟さん……高耶さんか、彼もここに住んでいるのか?あまりここには詳 しくないようなことを言っていたが」
 この北条の別荘に来るまでの道すがら、軽い世間話ほどしかできなかった。高耶は あまり口数が多くないようだった。
 「高耶はここではなく、隣の仰木の別荘にいる。実の弟だが、仰木のじいさまには 子供が母しかいなくてな、嫁にだすときの条件で、一人養子にって言われて。今は ちょうどそのじいさんが別荘に来ているんだ」
  直江が疑問に思ったことを察したのだろう氏照は簡単に説明してくれた。隣とは いえ、敷地が以上に広いのでそれなりに距離はある。
 「そうか。せっかくだから、後で散歩がてらに挨拶に行っても構わないだろうか」
 「ああ、きっと高耶も喜ぶ。なにせ、暇だからな。じいさんの思い出の地らしく て、ここで療養すると言ってきかないらしいのだ、あの頑固ものは」
 苦笑のなかにも、氏照の祖父への愛情が感じられる。直江は自身と引き比べて、氏 照を羨ましく思った。
   まだ長い距離を歩くと息が切れる。直江はゆっくりと負担にならないように歩い た。事故で長いこと臥せっていたためか、足腰が弱っているようだ。このU……村の 湯は切り傷ややけどなどにも効果があると謳われていて、今時湯治かとも思った直江 だったが、氏照にはいろいろ心配をかけたこともあるので厚意に甘えたのだ。
 どこかのどかな風景に目を細めながら直江は歩いた。道沿いにも何本か桜が植わっ ており、先ほどの少年を思い起こさせる。
 ひどく印象的な瞳だった。



 降るような蝉の声を聞きながら、直江は彼を待っていた。もうじき、約束の時間 だ。彼を待つ時間は直江にとっては喜びだった。彼はいつも約束の5分前には来るの だが、直江が待っているのを見るとまるで何時間も待たせたかのように走るのだ。
 今も、直江を見つけたらしい彼が、こちらに走ってくる。
 「ごめん、待たせたか?」
 息を切らせつつも、直江を見て微笑む彼に、直江も笑い返す。
 「そんなに待っていませんよ。約束は3時だったんですから、走らなくても構わな いのに」
 「でもおまえが暑い中待っているのに、そんなわけにはいかないだろ。じゃ、行こ うぜ」
 高耶と出会ってからいくつかの月を過ぎ、直江は彼の友人の地位を手に入れてい た。高耶の義父(実際には祖父にあたる)は未だ矍鑠としていたが、やはり高齢には勝 てず、一年の殆どをこちらで過ごしているらしい。その祖父の為に高耶は週末や休み の度にここまで来るのだ。だから直江は後遺症が殆ど問題なくなった今でもここに残 り、高耶が訪れるのを心待ちにしていた。
 「ここの温泉は本当にいいですね。私もすっかりよくなりましたけれど、宇都宮に 帰るのが嫌になりましたよ。余裕があれば、別荘を購入したいくらいですが」
 直江が言うと、高耶は笑った。
 「なんか、じーさんみたいだぞ。温泉が一番、なんて。オレ、直江がこっちに来た 時、三日で飽きて帰るんじゃないかと思ったくらいだ」
 「じーさん、はないでしょう、高耶さんよりは年を取っていますが、まだ若いつも りです。仕事も別にここで出来ますからね、私の場合。ただ、氏照にずっと甘えてい るようで申し訳ないんですよ」
 それを聞くと、高耶は首を振った。
 「どうせ管理人は雇わないといけないから、気にすることないだろ。な、それより どこ行くんだ?」
 無邪気に笑いかけてくる高耶の髪の毛を撫でたい誘惑に耐えながら、直江は友人の ギャラリーです、と言った。
 「高耶さん、天野慎太郎の絵が好きだって言ってたでしょう?部屋にもありました よね。友人も彼のファンで、たくさん持っているんですよ。で、自分ひとりで隠匿す るのはもったいないからと」
 「いいなあ、オレの部屋にあるのはレプリカだよ。そうかー、直江、オレの言って たこと覚えていてくれたんだ」
 実際のところ、直江は高耶のことなら何でも知りたいのだ。彼の言葉を忘れること など、ない。
 助手席のドアを開けて高耶を乗せて、自分も運転席に座る。
 「暑くてすみませんね、高耶さん」
 「いや、大丈夫。風は涼しいし。……でも直江、エンジン切ろうと思うほど前にこ こについたのか?」
 高耶はエアコンが好きではないらしく、別荘の自室では殆どつけない。直江もそれ を知って、あまりクーラーを入れなくなったのだが、高耶が言うようにかなり早くこ こにいたのも事実だった。が、無論そんなことは高耶には言わない。
 「私も最近エコロジーに目覚めたんですよ。高耶さんが車を冷やしておけと仰るな らもちろんクーラーを……」
 「入れなくていい。オレ、クーラーの風って苦手なんだよ。だから夏はいつもこっ ちに来るんだ。贅沢だよな、オレ」
 いつもこっち、と言うことは、夏休みの間はずっとこちらにいるのだろうか。直江 の表情がほころぶ。
 「どうしたんだ、直江。なんか、おかしいことでもあったのか?」
 「いえ、嬉しいんですよ。高耶さんが夏の間ずっといてくれるのかな、と思いまし て」
 「飽きない、って?」
 「ええ。いつでも誘ってくださいね」
 「そうか?そんなこと言うと、毎日電話しかねないぞ、オレ」
 そう笑う高耶に、本当にそうしてくれたらどんなに幸せだろうと思いつつ直江は微 笑みかけた。

 ギャラリー、とは言っても、絵の売買をしているわけではなく、半分が喫茶室に なっていてゆったりとくつろげる空間になっていた。実際、メインは喫茶店らしく、 そちらは結構人が入っていた。
 沢山の花々が飾られたギャラリーのほうは天野慎太郎個展、となっている。直江に は絵の良し悪しはわからないが、高耶が夢中になっているのを見ると嫉妬するばかり だ。もっとも、大人の仮面でごまかしてはいるが。そんな自分がわざわざその天野慎 太郎の個展に高耶を連れてくるのだから、自分でも笑ってしまう。
 高耶は、一つ一つの絵の前に立ち止まって、感嘆するように見入っている。緑を基 調とした優しい絵柄。直江などは皮肉な気持ちで、飾りやすい絵だからさぞ売れるだ ろう、などと思うが、そんなことはおくびにも出さない。
 だが、それは表面だけのこと。光の向こうには柔らかい影が潜み、どちらも切り離 せない。そして、生と光に溢れているように見えてその裏には濃厚な死の気配が満ち ている。
 この絵を自室にかけているのか、と直江は高耶を見遣った。本物の絵は、高耶の持 つものよりもかなり大きく、直江も圧倒された。
 木漏れ日が深い沼の上に差し込んでいる絵だった。水中は窺い知れないほど深い。  無言でその絵の前に立つ高耶に不意に愛しさを感じ、直江はその肩にそっと手を置 いた。
 高耶はそっとその手に触れてくる。
 二人はそのまま、しばらく動かなかった。
 奥には、最新の作品らしきものが並んでいる。初期のものよりも明るさが消え、そ のかわりに鮮烈なほどの生が満ちている。
 砂漠の太陽。極北の星。大海の水面の月。
 ごく小さな作品もあった。初期のころのような緑の基調の中、微笑む女性。そこに は生への憧憬がある。
 じっくり見て周り、二人は喫茶室へと向かった。
 喫茶室の扉を開けると、奥にいた女性が直江に声をかけた。
 「あら、いらっしゃい、直江。あんたに絵画鑑賞の趣味があるとは思わなかったけ ど」
 化粧をほとんどせず、白いブラウスに黒い細身のパンツ、そして黒いカフェエプロ ン。だが地味な格好とは裏腹の華やかな美貌に笑顔を浮かべて直江を迎えたのは、 ギャラリー兼喫茶店のオーナーである。
 「こちらが直江が言っていたお客様ね?はじめまして、門脇綾子です。天野の絵が 好きだって聞いて、うれしいわ」
 「……仰木高耶です。今日はほんとうにすばらしいものを見せていただきました」  嬉しそうに綾子は笑った。
 「私が個人で持っているのは本当に初期のころの何枚かだけなのよ。最近は結構売 れてきたらしくて、高くてねぇ。喫茶店も半分道楽みたいなもので、儲かっているわ けでもないし」
 そういいながら、水とメニューを持ってきてくれる。
 「ここのアイスコーヒーは水出しなんですよ。ケーキは近くのケーキ屋から仕入れ ていて、それもおいしいです。綾子が作ったケーキだったら食べられませんけどね」
 直江がそう言うと、失礼ね、と綾子が笑いながらそう返した。
 「あ、それじゃアイスコーヒーを。直江は?」
 「わたしもアイスコーヒーでいいです。高耶さん、ケーキはいらないんですか?」
 普段はこの年頃の少年には珍しく甘いものも頼む高耶がコーヒーだけなのを不審に 思ったが、高耶が首を振るので、直江はとりあえずそれだけにした。
 すぐに運ばれてきたコーヒーをストローで吸い上げ、高耶はほう、とため息をつい た。
 「高耶さん、疲れました?」
 「大丈夫。ありがとな、直江」
 なんだか元気がない声で高耶が俯く。
 「……リトグラフなら買えるんじゃないですか?ほら、あの廃墟にかかる太陽のも のなんかは綾子に聞けば情報を教えてもらえると思いますよ」
 「まさか、そんな金ないよ」
 「……誕生日プレゼントに、どうかと思ったんですが」
 直江の言葉に、高耶はがばっと身を起こして目を剥いて直江を見た。
 「な、なに言ってんだー!ぷ、プレゼントって!」
 「そのままの意味ですけど。もうじき、高耶さんの誕生日ですし」
 高耶はぶるぶると首を振る。
 「高価を通り越してるだろ!幾らだと思ってるんだ!」
 「え、綾子に聞きましたが、リトグラフであのくらいの大きさで天野慎太郎なら2 0万くらいと……」
 高耶は突っ伏してしまった。

 結局、ギャラリーで売られていた額入りのポスターをプレゼントとして買い、綾子 と話をして、二人は帰途についた。だが、高耶は何故かふさぎこんだままだ。
 どうしたのかと直江はいぶかしむが、高耶にははぐらかされてしまい、自分も落ち 込む。
 高耶に喜んでもらいたかったのに、迷惑だったのだろうか。
 そう思って、自然と口数も減り、車内には二人には珍しい気まずい沈黙が落ちる。
 「……あのさ」
 高耶が重い口調で声をかけてきた。
 「あの、綾子さんって、直江の……恋人?」
 「ええ!?と、とんでもありませんよ!」
 いきなり思っても見なかったことを言われ、直江はあやうくハンドルを握っている ことを忘れそうになった。
 「でも、すごく仲いいみたいだし、綾子さん、美人だし。直江、呼び捨てにして た……」
 「友人です。アレの中身は男も同然です。そんな気分にはなれませんよ。それに、 知り合ったときからすでにアレには恋人がいましたよ。物好きなとは思いましたが」  「そうなの?」
 「ここだけの話ですが、天野慎太郎が綾子の恋人ですよ。最後のほうの絵で、女性 のがあったでしょう?あれのモデルは綾子だそうです」
 「そうなんだ……」
 なぜか急に高耶は元気を取り戻したようだ。
 「ありがとうな、直江!コレ、大事にする!なあ、直江は天野さんの絵、嫌いなの か?」
 「いえ、まあ最初のころの絵は眺めるのはともかく部屋に飾りたくはありませんで したが、作風が変わったんですね。新作はずいぶん違う感じだと思いました」
 「そうだよな。昔の絵は、明るいのに深淵を覗き込むみたいな気分になった。け ど、新作は深淵の向こうにも存在がある感じだった。……直江は天野さんに会ったこ と、あるのか?」
 「ええ、まあ、綾子にのろけられたことがありますよ」
 綾子と慎太郎は一度別れて、再会して、よりが戻ったのだ。画風が変わったのも、 綾子の存在なしには語れないことなのだろう。
 「あ。そういえば……インタビュー記事にあった。恋人と別れたけど、よりを戻し たって。そうかー、綾子さんなのかー」
 「詳しいですね、高耶さん。そんなものまで読んでいるんですか」
 「え、たまたまだよ。いつも買っている雑誌に載ってたんだ」
 「そうなんですか。でも……妬けますね」
 自分でも馬鹿なことをと思ったが、口が滑った。
 高耶は直江を見つめた。
 「妬ける……って?」
 直江は覚悟を決めた。
 車を道路の脇に寄せ、停める。
 高耶を見つめ、思いを口にする。
 「……私は高耶さんのことが……好きなんですよ。だから、嫉妬しているんです」
 高耶は一瞬、息を呑んだ。
 「嫉妬……。そう、なんだよな……」
 高耶はそう呟いた。
 その動きの一つ一つを息を詰めて見守る直江を、そのまっすぐな瞳で見る。
 「……その……そういう、意味、だよ……な……」
 「気持ち悪い、ですか?」
 たとえそう思われても、直江は高耶を逃すすもりなど毛頭なかった。が、高耶は首 を振った。
 「……オレ……オレも、嫉妬、した……。綾子さん、直江の恋人かと思って……。 オレ、直江のこと、スキ……なんだと思う……」
 切れ切れにそう言って、そして赤くなって高耶は俯いた。わずかに覗く耳まで赤く 染まっている。
 直江は歓喜に打ち震えたのだった。


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『わにの部屋別館』様の「723」を踏みキリリクで頂きましたvv
『雪の中の二人』と言う、とんでもなくアバウトなリクエストを受けて頂きましたvvv
ふふふ♪直江スキーの私のために、かっこいい直江を目指すと言って頂けて!!しかも、あま〜くvvvしてくださると言って頂けて感激のあまり、打ち震えましたよ!?(…ゴメンナサイ;)
しっとりとした前半の雰囲気が、素敵です〜♪
そして、氏照兄まで出てきて、嬉しいですっ!!
兄〜vvv好きだ♥
しかも可愛い高耶さんと(しろわに様、高耶さんを愛してらっしゃるから〜v)、どことなく若い直江vvv
ひと目会ったその日から…♥ ですね♪
あまい世界を、拝見できて幸せです〜♪
しかも、続きも頂けるそうですので、すっごく楽しみです〜!!

2004.1.25


gift

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