『雪の一片』
その二

Writing by しろわに 様


 屈託ない顔で高耶は目の前の林檎タルトの征服に取りかかっている。一口食べて、それは幸せそうな顔で笑み崩れるのを見て、直江も思わず笑った。
 「……なんだよ、なにかおかしいかよ」
 ちょっとだけむっとした顔で高耶が咎める。
 「いえ、まさか。私は甘いものが苦手なんですが、高耶さんを見ていると本当においしそうですね」
 そうごまかすと、高耶はあっさりと、そうか、と再びタルトとの格闘に戻った。
 店の内装は茶色を基調とした秋のものへと変わり、穏やかな曲が邪魔にならない程度に流れている。掛けられているリトグラフは無論、S.Amano、とサインされたものだが、ひどく穏やかでやさしいものばかりだ。
 高耶とこの店に来るのはもうかなりの回数になる。最近では、高耶一人でもこの近くにきたときは寄るらしく、綾子とも随分親しくなったと言っていた。
 「それにしても、今日はいい日だったな〜。直江のおかげですぐにプレゼントも決まったし。やっぱ、ジェネレーションギャップってものがあるから、オレだけじゃなかなか決められなくてさ」
 その言葉に、直江は苦笑する。
 「まだ私だって十分若いつもりなんですがね。まあ、今日は高耶さんのお役に立てたのだから良しとしましょう。氏照もきっと喜びますよ」
 他愛のない会話をする。久しぶりに(と言っても、一週間だが)会った高耶はいつもと同じ笑顔を見せてくれる。
 「あら〜、直江。今日もずいぶんと崩れた顔をしているのねぇ」
 横から水を継ぎ足しつつ、笑いながらこの店の主の綾子が声を掛けてきた。からかうような口調はあいかわらずだ。
 「あ、ねーさん。コレ、うまいな〜。丸ごと、買って帰ろうかな、オレ。半分、直江に食べてもらって。紅茶もおいしいし、幸せ〜」
 やはり本格的にいれた紅茶は違うようだ。直江も紅茶は好きだが、高耶に言わせれば50点くらいらしい。たしかに同じ葉でも高耶が入れてくれるものとはまったく違う味になってしまう。その高耶が手放しで綾子のいれた紅茶を誉めるのを聞いて、直江は穏やかならざる気分になった。
 「……ナニ変な顔してんのよ、直江。……ははぁん、紅茶の入れ方くらい、教えてあげるわよ?」
 「いや、いい。敵の塩は受けん!」
 「なんの話だよ……なんでねーさんと直江が敵なんだ?」
 そんな会話を交わして、タルトの最後の一片が高耶の口に消える。満足そうにほうっとため息をついて、高耶は紅茶を飲んだ。
 そのとき、ドアのベルが鳴った。
 「いらっしゃ……あら、慎太郎さん。随分と今日は早いのね」
 入ってきたのは、一人の男だった。どちらかというと優男の部類に入りそうな体型だが、軟弱そうには見えない。男は綾子を見ると微笑んで、やあ、と手をあげた。
 「ちょっと、つまっててね。いつもの、いいかな」
 男は直江を見ると、どうも、と頭を下げた。直江も一応下げる。高耶のほうもうれしそうに挨拶した。
 「こんにちは、高耶くん……だったよね。今日は一人じゃないんだ。……そうだ、例の話、考えてくれた?」
 天野が高耶に声をかけるのを聞いて、直江はいぶかしく思った。
 「高耶さん、例の話って?」
 高耶が口を開く前に、綾子が面白そうに話し始めた。
 「実は、慎太郎さんが高耶にモデルになって欲しいって言うのよ。こ〜んな美女を差し置いて、妬けるわよねェ。なのに高耶ったら、恥ずかしいとか言っちゃって。なにも写真のモデルじゃないし、いいじゃない」
 高耶は赤くなって俯く。
 「いや、本当に受けてもらえたら助かるんだ。……実は、ちょっとスランプで困ってたんだけど、高耶くんを見ていたらこう描きたいものが沸いて出てきて。別に、ポーズをとったりしなくてもイメージだけでも拝借してよければ、本当に助かるんだけど」
 「……え、まあ、そのくらいなら……。そ、それに、お役に立てるんでしたら、ポーズくらいいくらでも取りますけど」
 綾子は直江のほうをちらっと見る。直江が今までの遊びとは違って高耶に執着していることを知っているためか、すこし心配そうだが、それでも止めないのはあるいはスランプの話が本当なのかも知れない。
 「……天野さん、社交辞令はそのくらいで結構ですよ。高耶さんも、困っていますし。純情な人なんですから、からかうのはそのくらいにして下さいね」
 直江はそう言って、綾子に会計を頼んだ。
 「さ、高耶さん、明日は氏照がこちらに来るんでしょう?久々に会えるんですから、部屋の用意もしないといけませんし、早めに帰りましょう」
 「うん……あ、そうだ、林檎のタルトはともかく、明日でも平気なケーキが欲しい!兄さん、ああ見えて甘いものも辛いものもいけるんだよ」
 「じゃ、あの駅前のケーキ屋さんに行きましょう。ここのケーキはあそこのものですからね。……じゃあ、失礼します、天野さん。綾子、また」
 綾子はちょっと直江をにらむように見て、しぶしぶといった感じで会計をすませた。
 「ありがとうゴザイマシター!」
 天野が直江を苦笑するように見ているのを内心苦々しく思いながら、直江は高耶と共に店を後にした。

 「……直江は慎太郎さんと仲が悪いのか?慎太郎さんはそんなこと言っていなかったけど」
 車中でいつものように助手席に座った高耶は、駅前で買い込んだ焼き菓子を膝に乗せた格好で直江を見た。
 直江のほうは先ほどの天野との一件のことなど忘れてもらいたい気分だったので、ことさら何でもないような顔で高耶に笑いかけた。
 「そんなことはありませんよ。知り合いというほどの仲でもありませんし、顔見知り程度ですからね」
 「ふうん……」
 高耶ははぐらかされたような顔で膝の上の箱に視線を落とした。
 「それより、氏照はどのくらいこちらにいられるんですか?高耶さんのほうに泊まるつもりでしょうね、きっと」
 「う〜ん、多分。そうだ、せっかくだから直江もこっち泊まれば?兄さんも喜ぶと思う」
 それはどうだろう、と直江は思った。せっかくの弟との水入らずの時間を直江に壊された!と氏照なら思いそうだ。すこし早いが氏照の誕生日を祝おう、と高耶が用意しているのを邪魔するのも心苦しい。が、直江とて高耶と出来る限り長く一緒にいたい。
 「まあ、氏照と相談しますよ。せっかくの高耶さんとの時間を!と怒られそうですしね」
 まさか、と言って高耶は笑った。


 そろそろ晩秋の気配が濃い。赤く色づいた木々の葉もだいぶ地面に落ち、朝晩も冷え込むようになってきていた。
 「……あら、直江。今日は一人なの?珍しいわね」
 革の手袋をした手で仕事の資料を抱えた直江を見て、綾子が声をかける。
 「平日は高耶さんは学校だ。当然だろう」
 そう言いつつ、直江は店の奥の席に座った。
 「そういえば、高耶の家はこちらじゃないんですって?学校のほうは寮だって言ってたけど。……タイヘンねェ、直江」
 ふふっと綾子が笑う。
 「寮なんて、心配で仕方がないんじゃないの?」
 そのからかいに直江は真顔で、心配でしかたがない、と答えた。
 「男子校だなんて……人間が大勢いれば、どんな輩がいるかわからないからな。それなのに、寮だなんて……」
 真剣に憂いている直江の前に綾子は水を置いた。
 「それで、今日はコーヒー?紅茶?たまには高耶みたいにケーキでも食べていったら?高耶と一緒に甘味処とか行けるようになるかも知れないわよ」
 綾子に手渡されたメニューを見ながら、直江はため息をついた。
 「友人の譲さんとこの間わざわざ遠くまで行って、ふわふわの……なんていうんだか、泡みたいな……」
 「……スフレかしら?それともシフォンケーキとか?」
 「そうだ、そのスフレっていうのを食べてきたって言うんだ、高耶さんが」
 「へぇ〜。……それで、置いていかれて拗ねているんだ〜」
 おかしくて仕方がない、といった顔で、綾子は紅茶を用意した。
 「スフレはここじゃ置いていないのよね。出来たてじゃないとしぼむし、あたしには作れるわけないし。でも、慎太郎さんは器用なのよ〜。お菓子もプロまでは行かないけど、素人にしてはおいしいわよ」
 「……紅茶にするとは言っていないが、綾子」
 「時間切れ。かわりにケーキは奢ってあげるわ」
 直江は再びため息をついた。本当は煙草が吸いたいのだが、この店は禁煙である。コーヒーや紅茶の香りを壊す気か!と怒られるのだ。それを我慢できるほどの味なのは確かだが、こういう時にごまかせるものがないには辛い。
 しばらく資料の本を広げ、ぱらぱらとめくってみる。雑誌の中に天野慎太郎の記事を見つけ、直江は思わずそれを閉じた。
 「……はい、お待たせ。そういや、聞いてる?高耶のモデルの話」
 「……なに?」
 「慎太郎さんがすごく残念がるから、あたしから高耶に頼んだの。いいでしょ?減るもんじゃないし」
 「……勝手なことを……」
 直江の眉の間の皺を見て、綾子が手を合わせた。
 「高耶はいいって言ってくれたのよ〜、直江は嫌がるだろうとは思ったんだけど、ホラ、アタシはやっぱり慎太郎さんの新作が見たいのよぅ。高耶も見たいって言うから、ね?わかって?」
 可愛らしく上目遣いで「お願い」されても、相手が綾子では直江の気分は和らがない。
 「……お前は、天野慎太郎が他の人間を描くのに嫉妬しないのか」
 不意に直江が真率な顔で綾子に問い掛けたからか、綾子は一瞬戸惑ったようだったが、すぐにまっすぐに直江を見た。
 「慎太郎さんは、綺麗なもの皆が好きなのよ。私が嫉妬するとしたら、人だけじゃなく 太陽にも月にも、裏の野良猫にも嫉妬しなくちゃいけないわ。……でも、慎太郎さんは私のきれいじゃないところも愛しているって言ってくれたのよ。きれいなものが好きなのは誰でもそうでしょ?でも、あの人は醜いものの中から醜いままで美しいものを取り出してみせてくれるの」
 綾子はいつもの笑みとは違う、透き通るような微笑を浮かべた。
 「直江は高耶が慎太郎さんに夢中なのが嫌なんでしょ?でも、そんな心配は要らないじゃない。……そうだ、今度、慎太郎さんのスケッチ、見せてもらいなさいよ」
 「……」
 無言の直江に、綾子は苦笑した。

 しばらく直江は資料を読み込んだ。紅茶とともに出されたケーキには一口だけチャレンジして、あっさり敗北している。
 ちりりん、と澄んだ音がした。
 目を上げると、綾子が嬉しそうにいらっしゃい、と声を掛けている。天野慎太郎だ。
 「こんにちは、直江さん。こちら、いいですか?」
 直江はしぶしぶ頷いた。なんと言っても、高耶がこの男のファンである以上、あまり悪い印象を与えるわけにもいかない。
 「先日は、済みませんでした。高耶くんとご一緒のところをお邪魔してしまって」
 虫も殺さないような柔らかい笑みを浮かべて、綾子にいつものを頼む、といいつつ直江の向かいがわに座る。大きなスケッチを脇に置き、慎太郎は綾子の持ってきた水を一口飲んだ。
 「高耶くんと貴方が一緒のところを見て、正直驚きましたよ。あの子の普段の印象とはまるで違う顔を貴方には見せている。……実は、この間、何枚かスケッチ描かせてもらったんですよ」
 天野のその言葉に、直江ははじかれたように顔を上げた。
 「正直に言いますと、許可を得る前にイメージだけでスケッチブック一冊分、描いてしまっていたんですよ。だからお詫びも兼ねて、このスケッチブックは高耶くんに渡そうと思ってたんですが、断られました」
 「……高耶さんはあなたのファンですから、お詫びなんて受け取らないでしょう」
 そう言われた天野はふわりとした微笑を浮かべた。
 「大抵のファンなら、どうぞと言われたら受け取りますよ。……まあ、高耶くんは遠慮するかもしれないですが。でも、コレを受け取れない、と言ったのは、別の理由です」
 「別の?」
 「……このスケッチを家族に見られたくない、と」
 直江は驚いて天野を見つめた。
 「決して怪しいものを描いてはいませんよ、先に言っておきますが。ただ……いつも直江さんや家族には見せない顔だったからじゃないでしょうか」
 「見せない……顔……」
 「……高耶くんにはこの絵は受け取ってもらえなかったんですが、好きにしていいと言われました。……貴方に差し上げても、いいですか?」
 「……私に、ですか」
 直江の戸惑いを見越したかのように天野は綾子のほうに視線を向けた。
 「彼女に、聞きました。高耶くんを一番大事に思っている人だと」
 スケッチブックを直江に差し出す。
 「今日お会いできて良かった。綾子に預けておこうかと思っていたんですよ」
 直江はそのスケッチブックを躊躇いながらもそっと受け取ったのだった。



 ぱらぱらとスケッチをめくる。俯いた顔、横顔、後姿……どれも高耶だった。
 丁寧に描かれたものもあれば、ラフ程度のものもある。
 絵の中の高耶の表情はいくつもある。だが……。
 最後の一枚。
 雪の中に一人立つ高耶だった。
 わずかに仰のいて両腕で自身の身体を抱きしめ、天を見上げている。
 その表情は、直江がかつて一度だけ目にしたものに近かった。
 ……初めて会った時の、桜の下。直江を一目で虜にした……。
 あの、淋しそうな瞳だった。


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『わにの部屋別館』様の「723」を踏みキリリクで第二弾、頂きましたvv
直江の嫉妬深さに、ニヤリです〜vvv
ふふふ♪甘くて〜幸せvv
あぁ、読んでいたら、ケーキと紅茶が欲しくなりました!!
食べたい〜!!隣のテーブルに、高耶さんと直江のオプションつきでv
そして、二人の会話を盗み聞き♥
でも、切ない気配の続き方に、ちょっぴりドキドキしてます。
続きが気になります!!すっごく楽しみです〜!!

2004.1.31


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