『雪の一片』
その三

Writing by しろわに 様

 鮮やかな色の花々で埋め尽くされた中、高耶が俯いている。隣の氏照がそんな高耶を力づけるようにそっと肩を叩いた。
 花々の中心には、仰木氏の微笑む顔がある。
 菊の花よりも、故人の愛した花を、という趣旨なのだろう、献花も紫色の愛らしい花だった。
 家族と親しい人々だけで別れを告げる。それはあの仰木老人にいかにもふさわしいものだった。
 だが、そんななかにも雑音は混じる。 
 「……そうよねェ。やっぱり、氏政さんはねぇ」
 「仲たがいしたままなんて、高之さんもお気の毒に……」
 ひそやかな声で交わされる、本人達にとっては恐らくたわいもない噂話。
 直江は思わず離れた席の高耶を見る。学生服の高耶はじっと俯いて物思いに耽っているようだ。氏照が殆どの手配をこなし、あれこれと弟のために気を配っているのだろう。
 だが、長兄の氏政は挨拶には回っていたものの、高耶のそばには立たない。
 そもそも、高耶の話に氏照の話は出ても、氏政の話題がのぼったことはなかった。

 空から、一片の雪が落ちてきた。
 直江は天を見上げた。
 
 
 高耶の祖父が逝き、しばらく高耶も忙しいらしかった。密葬は仰木老の愛したあの別荘で行なわれたが、その後の社葬は無論本社のある東京で行なわれた。直江も顔だけは出したが、高耶に近付くこともできなかった。
 ようやく落ち着き、高耶からの『会いたい』という電話が入ったのは、一月ばかり経ってからだった。それまで電話越しの声だけで我慢していた直江はもちろん頷き、高耶は久方ぶりにこちらへやってきたのだったが……
 仰木家の別荘の前まで車で来た直江は、苛立ったような顔で歩く男と、その腕を掴み、なにか声を掛けている氏照に気が付いた。
 「兄さん、なぜそんなに!」
 「うるさいぞ、氏照!お前は腹立たしくないのか!高耶さえいなければ!」
 慌てて車を止めて降りてきた直江を、氏照がはっとしたように見る。
 「直江……」
 その間に、もう一人の男は氏照の腕を振り切って早足で歩き出した。その後を氏照は慌てて追う。
 「すまん、直江、高耶を頼む」
 そう直江に懇願の眼差しを向けて、氏照は半ば走るように男の後を追っていってしまった。

 鍵が開いたままになっていた玄関を通り抜け、二階の高耶の部屋へと急ぎ足で階段を上る。高耶の部屋の扉も開いたままだった。控えめにノックして声をかける。
 「……高耶さん、いいですか?」
 直江の声に、高耶はのろのろと顔をそちらに向けた。高耶は床の上にじかに座り込んで、身体を丸めるようにしていた。
 その顔には何の表情も浮かんでいない。だが、直江は一瞬、泣いているのかと思った。
 「……直江……そうだ、約束してたんだっけ……。ごめん、兄さんたちがいきなり来てさ……」
 どこか乾いた声で、高耶が言う。
 直江は屈みこんでその高耶の頬を撫でた。
 まるで、いきなり触れられた人になれていない猫のように高耶はぴくん、と身を震わせた。ことさらゆっくりと直江は高耶の頬を両手で包み込み、それから出来る限りの優しさでそっと高耶の頭を自分の胸に抱き寄せた。
 高耶の髪の毛を梳く。わずかに強張っていた高耶の肩から力が抜けていく。いつも甘えるときのように、自分から直江の胸に頭をすりよせ、押し当ててくる。
 「なおえ……」
 「大丈夫ですよ、わたしはここにいますよ」
 髪を梳く手は止めずに、囁くようにそう言うと、高耶は直江を見上げた。
 高耶の腕が直江の背に回る。それを抱きしめ返すと、高耶の口からは満足そうな吐息が漏れた。

 「……そうか、見たんだ、氏政兄。……うん、仲、悪いんだ……ちょっと、事情があってさ、氏政兄が一方的に悪いわけじゃないんだ。兄さんの気持ちも、わかるんだ。ただ、オレにはどうしようもない。その上……」
 高耶は直江の胸に頭を凭れさせて、目を閉じる。
 「オレ、仰木の祖父の孫だけど、戸籍上は養子だろ?相続のハナシとかも絡んできてさ。じいさん、オレに一番残して、兄さんたちには法定相続分っていうのか、それしか残さなかったんだ。しかも、山ばっかりさ」
 「それは、でも、高耶さんのせいじゃ……」
 「うん……氏政兄とオレの仲が悪いから、心配だったんだろうけどさ」
 それだけではない事情もあるのだろう、高耶は俯いてしまった。なにを言われたのだろうか。直江は胸が痛む思いで高耶を抱く腕に僅かに力を込めた。
 「今日はごめんな、オレから来て欲しいってねだったのに、どこにも行けなかった」
 「いいんですよ、高耶さんに会いたかったのは私も同じです。こうして会って、触れていられれば十分です。ずっとこのままでもいいくらいですよ」
 「……そうか?」
 ちょっと嬉しそうに、だが恥ずかしそうに高耶が笑う。
 「直江がいてくれて、よかった……」
 向きを変えて、高耶は直江と向かい合わせに抱きつくような格好になった。間近から高耶に顔を覗き込まれ、直江は内心焦った。
 「高耶さん、そんなにカワイイ顔で目を閉じたりしないで下さいね。襲われてしまいますよ」
 直江の言葉に、高耶は笑った。
 「直江に?直江に襲えるワケ、ないじゃないか」
 「高耶さん、そんなこと……」
 「だって、オレ、いつでもいいって言っているのにさ、そういうのは襲うって言わないだろ?」
 高耶が唇を近づけてくる。
 「いや、しかし、犯罪ですから……」
 「ここは長野県だからないぞ、淫行条例」
 「いや、その……つけこむようで、いやなんです」
 「じゃ、キスだけ」
 高耶が目を閉じる。そのわずかに開かれた唇にそっと口づけする。小さな吐息が聞こえる。触れるだけの口付けを交わし、高耶は安心したように目を閉じたまま、直江に抱きついて離れなかった。


 高耶のベッドは広く、大人の男二人が寝てもまだ余裕があるほどだった。なにもせずにパジャマ姿の高耶を胸に眠るというのは直江には拷問に等しいものではあったが、高耶の安らかな寝息を聞いていては直江もそれ以上のことはできなかった。
 高耶が眠りにつくまでそうしていたように、直江はまた高耶の髪の毛を梳いた。高耶の安らいだような表情が愛しく、直江は飽かずに梳きつづけた。
 それにしても、と直江は思う。
 北条氏政のあの言葉。……高耶さえ、いなければ……。
 仰木の財産のことだけなのだろうか。だが、氏照は氏政のことを敬愛している。氏照のことをよく知ってもいる直江には、何故、という思いが拭い去れなかった。
 わずかな常夜灯の光の中、直江は高耶の顔を見つめた。わずかに痩せたようだ。目を閉じると、いつもの凛然とした雰囲気が消えて、年相応のどこか幼ささえ感じさせるものになる。女性的な感じはまったく受けないが、顔立ちそのものは死んだ母親に瓜二つなのだという、その顔。長いまつげがまぶたに影を落とし、どこか儚げに思え、直江は彼の眠りを守りたいと強く思った。

 朝食の後、直江は高耶のために紅茶を用意した。結局、高耶に喜んでもらうためだと自分を納得させ、綾子に頭を下げて九十点と言ってもらうまで練習したのだ。湯をわかし、ポットを温める。やかんの湯がちょうどいい温度になるのを見計らって注ぐ。砂時計を返し、三分待つ。……だが、一番は愛情よ、と真顔で綾子は言った。
 高耶は差し出された紅茶を一口飲み、満足そうに微笑んだ。
 「……おいしい。ありがとう、直江」
 「いえ。……これは、シェフがわざわざ作ってくれたんですか?」
 高耶の為になのか、出来立てのふわふわのスフレ。
 「うん、八神がわざわざ作ってくれたんだ」
 嬉しそうに目を細め、さっそく口に運ぶ高耶。
 「直江も早く食べないとしぼむぞ」
 「ええ……」
 仰木老が亡くなってから沈みがちの高耶の為に、すこしでも元気になってもらおうと気を配ってくれたのだろう。わざわざ高耶がこちらに帰ってくるのにあわせてシェフの八神もここに来たのだ。そしてそれを可能にしたのは氏照だろう。
 高耶は大事にされているのだ。……あの氏政以外には。
 「そうだ、慎太郎さんが新作が出来たって、案内状を送ってくれたんだ。……ちょっと、待ってて」
 あっと言う間にスフレを食べ終えた高耶が壁の絵を見て思い出したらしく、席を立つ。
 それを見送り、直江もスフレを食べ終えた。高耶に誉められた紅茶を飲む。形ばかりで使われていない暖炉の上には写真立てが飾られている。微笑む仰木老と高耶、そして氏照がうつっている。その隣には、高耶によく似た女性と、彼女に抱かれた赤ん坊……恐らくは、高耶自身だろう。繊細な銀色のフレームの中で微笑む高耶の母。
 直江は高耶の部屋にも同じ写真があったことを思い出した。そちらは、寮の部屋にも飾っていて、わざわざこちらに来るたびに持ってくるらしい。
 「直江〜、ホラ。新作ばっかりの個展なんて、本当に久しぶりだよな」
 高耶が手紙とはがきを手にして戻ってきた。
 「ああ、天野さんですか。わざわざ手紙を?」
 「うん、オレがモデルなんだって」
 直江は思わず黙った。天野に渡されたスケッチブックは直江が持ったままだった。
 ……孤独。高耶が表面に見せている、人懐こい性格は無論作り物だとは知っている。本当の高耶はどちらかといえば照れ屋でぶっきらぼうで、口数も多くない。直江といて本当にリラックスしているときなど、殆ど自分では喋らないのだ。ただ、直江の言葉を気持ちよさそうに聞いて、そういえば、とか、オレも、とかぽつりぽつりと話すくらいだった。
 本人は気付いているのかわからないが、たとえば氏照と話すとき、高耶はひどく饒舌になる。氏照との間の沈黙には、高耶は耐えられないのだ。おそらくは心配をかけまいとして、気を張ってしまうのだろう。
 それに気がついていたのは、家族ではおそらく仰木老だけだったろう。その、彼も、逝ってしまった。
 「どうしたんだ、直江?」
 「いえ、高耶さんがたとえ絵の中とは言えど他人に見られているなんてちょっと悔しいだけです」
 高耶は直江の言葉に赤くなって口の中で、またバカなことを……と呟いている。
 そんな高耶の髪の毛をそっと撫でると、高耶は頭をぶるぶると振った。
 「なあ、部屋、戻ろう?」
 直江を見上げて囁かれて、二人は高耶の部屋へと戻った。
 渡された案内状を見ながら、直江はかすかなため息をついた。


NEXT





『わにの部屋別館』様の「723」を踏みキリリクで第三弾、頂きましたvv
あの!直江が耐えている〜vvv 
うちの直江なら遠慮無く美味しく頂いてますね…(汗)
ふふふ♪直江!カッコ良いですvv
今度はふっくらスフレvvv…食べたいっ!!
氏…兄弟との確執!切ないけれど、萌えてしまいます♥
続きが、気になって仕方ないです。
誰よりも先に読める幸せを噛み締めつつ…。
次を心待ちにしております〜!!ありがとうございましたv

2004.2.12


gift

index

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送