『雪の一片』
その四

Writing by しろわに 様

 夏は涼しいかわりに、冬の訪れもはやい避暑地に、雪が降っていた。
 高耶からの電話は、夜にかかってきた。
 「……ゴメン。明日の約束だけどさ」
 「……どうしたんですか?」
 「ちょっと、用事が……」
 言いよどむ高耶。だが、その声がかすかに掠れていることに直江は気付いた。
 「高耶さん、体調でも悪いんですか?声が、少し……」
 直江の言葉に、高耶は驚いたようだった。
 「直江、わかっちゃうんだ。ううん、たいしたことはないんだけど、ちょっとだけ風邪気味だからさ……。でも、心配するかと思って、つい」
 諦めたような、だが、少しだけ嬉しそうな高耶の声。
 「つい、じゃありませんよ。理由もなくキャンセルなんてされたほうが傷つきますし、高耶さんが病気の時になにも出来なかったなんて後から知りたくないです。今、寮なんですか?」
 「え、う、うん……」
 だが、その言葉のむこうで、雪が木の枝から落ちるような音がした。高耶の高校の寮で雪が積もるほど降るのはもうしばらく季節が進んでからだ。
 「高耶さん、こちらにいらしているんですね。今から伺ってもいいですか」
 「ええ?……なんで、そこまでわかるんだよ……。もう、夜遅いし、雪が降っているし、危ないだろ……」
 「お隣でしょう?はじめからこちらに来てくださればいいのに。どなたかそちらには残っていらっしゃるんですか?」
 「……いない、けど……」
 その答えに直江はあやうく声を荒げそうになった。
 誰もいないそこに高耶は風邪気味の身体を押して帰ってきて、そしてどうにも明日は動けなさそうだと思ってこの時間に直江に電話をしてきたのだろう。
 「すぐ、行きますから。ちゃんと暖かくしていてくださいね。さもないと、冬中わたしがそこに居座りますよ」
 「……うん……いてくれても、いい……いて欲しい……」
 普段よりずいぶんと素直な高耶のその言葉に、風邪で気も弱くなっているのかと心配になって、直江はもう一度すぐ行くから、と念をおして電話を切り、あわただしくコートを着込んで外へと出た。


 仰木の別荘は高耶の部屋にだけ灯りがついていた。直江は高耶から渡されていた合鍵で中へ入る。階段を上って高耶の部屋の扉をノックすると、高耶が小さな声で返事をした。
 「直江?」
 「高耶さん、入りますよ?……大丈夫ですか?」
 高耶はきちんとベッドに横になっていた。冷房もキライだが暖房もキライという困った性格の高耶の部屋はあまり暖かくない。だが、ベッドの羽根布団が高耶の身体を包み込んでいた。
 すこし赤みのさした顔で高耶は直江を見上げてきた。
 「高耶さん、熱、測りました?」
 直江が高耶の額に手をあてると、随分と熱い。
 「……どこに体温計があるか、知らない……。じーさんが使っていたから、どっかにあるはずなんだけど、ちょっと探すのはムリ……」
 直江は慌てた。
 「高耶さん、病院に行ったほうがいいですよ、随分熱が高いですし。風邪薬は飲みましたか?」
 「……熱出ると思わなかったから……どこかわからないし……」
 ようするに、飲んでいないらしい。この辺りでこの時間に開いている薬局など直江も知らなかった。そのくらいなら病院にかかったほうがましだろう。
 直江の行動はすばやかった。
 高耶を病院に連れて行かなくてはならない。高耶に聞くと、保険証は持ち歩いているので鞄の中に入っているということで、許可を貰って中を捜して見つけ出した。
 車を用意して、一番近くの病院を探して電話を入れ、高耶が寒くならないように十分配慮をして車に乗せる。

 高耶はすこし脱水気味で、解熱剤のほかに点滴をされ、一晩病院で様子を見るように言われた。明日、もう一度来ることにして仰木の別荘へと戻る。
 だれもいない別荘は寒々としていて、そして雪に吸い込まれてなんの音もしない。ここに病気の高耶を一人にせずに済んでよかった、と直江は心から思った。
 寒さのためにコートを脱がないまま高耶の部屋へと再び向かい、着替えとタオルを探すことにして灯りをつけた。直江もさっきは慌てていたせいか、こころなしか散らかってしまったようだった。
 ベッドから落ちてしまった羽根布団を戻して、枕を元の場所に置き直し、鞄を部屋の隅に持っていった。だが、高耶の着替えも鞄の中かもしれないと思って、もう一度鞄を開けて中を見てみた。綺麗に折りたたまれた着替えがいくつかやはり入っていたので、それを引っ張り出す。
 その時、一緒になにかを引き出してしまったらしい。
 なにか固いものが床の上に落ちて転がった。
 かたん、という音に直江は気付いて、慌ててそれを拾い上げる。
 フォトフレームだった。落ちた拍子に外れてしまったのか、中の写真が出てきてしまっていた。それを内心で高耶に謝りながらそっと手に取った。あの、赤子の高耶とその母親らしき女性の写真。……それと、もう一枚。どうやら、その下に入れていたらしい写真があった。その写真も高耶と女性が写っている。その写真の高耶は三歳ほどか。だが、あの高耶によく似た母親らしき女性ではない。それでも、一見すれば親子にしか見えない。
 フレームは壊れてしまったようだった。写真を留めておく部分が割れてしまっていた。直江はそれを見て溜息をつき、それでもフレームに写真を入れて、それを懐に入れた。
 明日、高耶に謝らなければならない。
 二枚の写真のことも、聞いても、いいだろうか。
 まるで、隠すように入れられていた写真。
 直江はどこか痛むような気持ちで、写真を収めた胸ポケットを上からそっと抑えたのだった。


 病院の白い壁に、朝日が差し込んでいる。昨日降り続いていた雪は止んだが、寒さと積もった雪のためか、朝の病院は人もまばらだった。
 窓から見える青空を眺めて、高耶はせっかくのいい天気なのにと残念がった。
 「ゴメンな、直江。あ〜あ、せっかく出かける約束だったのに……」
 だいぶ良くなった顔色に直江も安心した。
 「もう帰っていいんですか?着替えとか、一応持ってきたんですが」
 「うん。別に入院しなくても良かったみたいなんだけどさ。たかが風邪だし」
 その高耶の髪の毛を撫でながら、直江は柔らかく笑う。
 「たかが風邪、とは言っても、昨夜は熱も高かったですし。今日はもう随分よくなったようで、安心しました」
 ちょうど高耶の腕につながっていた点滴も終わり、看護師を呼ぶ。すぐに看護師はやってきて、点滴の管をはずしてくれた。
 「もう帰っても大丈夫のようですから、お薬を受け取って、会計に寄っていただけますか?薬は窓口の隣の薬局に用意してありますので、説明を聞いていって下さいね」
 にっこりと直江に微笑んで、看護師の女性は手早く処置を済ませてくれた。それを高耶は面白くなさそうな顔で見ていた。
 「……むぅ。会計の事務さんと薬局の薬剤師さんには、お前、顔を見せるな。どっちもきっとオンナだろ!」
 高耶のあまりに可愛らしい言葉に、直江は思わず笑った。

 高耶の部屋に加湿器を置いて、エアコンをつける。高耶はちょっとイヤそうな顔をしたが、今回ばかりは直江も譲らなかった。
 「高耶さん、ちゃんと加湿器も置きましたから。今日はおとなしくあったかくしていてくださいね」
 子ども扱いするような直江の言葉にむくれてみせる高耶だったが、直江の手が髪の毛を梳くのが気持ちいいのか、そのまま頷いてベッドにおとなしく横になった。その上から、きちんと羽根布団を掛ける。
 高耶のためにお粥でも用意しようと思い、直江は台所を借りた。いつもは本職のシェフが使用していた台所を使わせてもらうのはどことなく気が引けるし、その上直江は料理に情熱を傾けたことなど一度もなかった。仕方なく昨夜買っておいたレトルトの白粥を器に移して電子レンジで温め、ついでに林檎を探して皮を剥いてみた。おそろしく不恰好な林檎になってしまったが、仕方なくそれを皿に載せ、それから湯冷ましを用意する。
 皿の上の林檎を見て、高耶は笑った。
 「うわ、直江……ありがと、な……」
 嬉しそうな顔で礼を言われ、直江は恐縮した。
 粥を勧めると、高耶は頷いてスプーンをとった。一匙すくって口に運ぶと、一瞬微妙な顔をしたが、そのまま食べつづける。
 「……高耶さん、まずいですか?」
 レトルトそのままだから、そんなに失敗もないはずだが、と思い、高耶に尋ねるが、高耶は大丈夫、というだけだった。心配になった直江はそのスプーンを取って、自分でも一匙食べてみる。
 「……味がついていない……純白粥って、そうだったのか……。すみません、高耶さん!作り直してきますから!」
 慌てる直江に、高耶はくすくすと笑った。
 「もう食べ終わるって。大丈夫だよ、別にマズイわけじゃないし。林檎、もらえる?」
 直江が不恰好な林檎を差し出すと、刺してあった爪楊枝をつまんで食べ始める。
 「直江は?朝ご飯、まだなんじゃないの?」
 「ああ、あとで適当に食べます……。薬もきちんと飲まないといけませんよね。ええと……」
 「熱は下がったから、解熱剤は今はいいよ。あとは、咳もないし……喉は腫れているらしいから、消炎剤と……抗生物質だけかな?それと、胃薬」
 「全部飲むんじゃないんですね……」
 薬剤師のおねーさんには顔を見せるな!と言われたため、薬がなんだかわからない直江である。高耶はいくつかの薬を出して、おとなしく直江の用意した湯冷ましで飲んだ。
 「水分はたくさん取ったほうがいいんですよね。……スポーツドリンクとか、買ってきましょうか」
 「いいよ……それより、一緒にいて欲しい……」
 直江は高耶の髪の毛をそっと梳いた。
 「ああ、そうだ。高耶さん、謝らないといけないことがあるんですが」
 「なに?」
 直江はあの壊れてしまったフォトフレームを取り出した。写真が落ちる。それを直江は拾い上げた。
 「……申し訳ありません。鞄を探したとき、壊してしまったようです」
 そう頭を下げる直江に、高耶は首を振った。
 「ゴメン、それ、寮で落として壊しちゃってたんだ。直江が壊したわけじゃないよ……」
 渡された写真を見て、高耶は瞑目した。
 「……コレ、見たんだ……」
 「申し訳……」
 高耶は再び首を振った。
 「ううん……直江に聞いておいてほしい……。ちょっと嫌な話かも知れないけど……いいかな」
 直江は黙って頷いた。



 高耶は二枚の写真の一方を手にとった。高耶によく似た、気品のある美しい女性が、慈しむような顔で赤子を抱いている、まるで聖母子像のような写真だ。
 「こっちが、瑞子かあさん。赤ん坊がオレ。……それで、こっちが……」
 もう一方の写真を手にする。三歳ほどの高耶と、もう一人の女性。
 「佐和子かあさん、だよ……」
 しっかりと手を繋いだ二人。
 「……赤ん坊のオレを、さらったんだってさ、佐和子かあさんは」
 直江は驚いて顔を上げた。高耶の表情は、俯いているため見えなかった。
 「オレは庭で日向ぼっこしてたそうだ。瑞子かあさんが眼を離した隙に、オレはいなくなってたんだって。最初は営利目的かと思われて、公開捜査にしなかったんだけど、犯人からは何の連絡もなくて」
 「……」
 「佐和子かあさんは、子供を亡くしたばかりだった。公園で、オレを見かけて……後をつけてきて、オレが一人になっていたのを見て……」
 「……高耶さん……」
 高耶の声が震えた。
 「オレ、病気らしい病気もしなかったんだけど、予防接種がひとつも受けれなかったから、麻疹にかかったんだ。それでも保険証もないから、病院に行けなくって」
 「……」
 「肺炎になって、佐和子かあさんは慌てて病院にオレを連れて行った。救急車でさ……それで、オレが誘拐された子供だってわかったんだ。たくさん注射されて、点滴打たれて……でも、かあさんは来てくれなくて、どうしたんだろうって思ってたら、父さんと兄さんたちが来た。かあさんは?って聞いたら、兄さんたちは顔を歪めた」
 直江は黙って高耶の髪の毛を梳いた。そっと、出来る限りの優しさをこめて。
 「佐和子かあさんは、オレを病院に連れて行ったあと、飛び降りたんだって……」
 高耶の髪の毛はさらさらと直江の指の間を通っていく。
 「瑞子かあさんは、オレがいなくなって、ノイローゼ気味になって、庭を探し回って」
 直江は指を休めなかった。
 「……ある日、池で溺れて浮かんでいたんだって……」
 直江はそのまま高耶を抱きしめた。
 「氏政兄さんは、瑞子かあさんが浮かんでいるのを……最初に、見つけたんだ……」
 高耶の声が掠れた。
 「オレは、佐和子かあさんをかあさんって呼んだら……本当は、いけないんだ……」
 直江は、高耶の髪の毛を梳きつづけた。
 「……いいんですよ、私の前では。……お二人とも、高耶さんを愛していたんです」
 「……なおえ……」
 「貴方にとっては、お二人とも大切なおかあさん……それで、いいんですよ……」
 高耶は、直江の胸の中で声を出さずに泣いた。

 「……直江……ありがとう……」
 すこし赤い目をした高耶が、直江に微笑みかけた。
 その頬に手を当て、そっと目元をぬぐう。
 「オレ……佐和子かあさんのお墓に、行けなかった……」
 「……一緒に、行きましょうか。車を出しますよ」
 そう誘うと、高耶はまた一筋涙をこぼして頷いた。

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『わにの部屋別館』様の「723」を踏みキリリクで第4弾、頂きましたvv
直江が理性的なオトナで、カッコイイです〜♥
ふふふ♪直江!カッコ良いですvv
…うちの直江と大違い…(T_T) 特に今お題の直江に苦戦しているので…
りんご〜vvv…食べたいっ!!(特に直江が自らむいた物がvvv)
氏政兄との確執の原因が!(…ですよね?しろわにさん?)、…切ないです(>_<)、
次が楽しみです♪
またカッコイイ直江が、読めるんですね〜!!ありがとうございますv

2004.2.29


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